今年の夏の夜の夢

2016年8月29日
 この夏はほとんど軽井沢に滞在していた。心臓の病があり、ペースメイカーを手術で装着されている身には、酷暑はこたえた。どうしても東京でなくては果たせぬ用のときは、新幹線で東京へ行くけれども、わが家に一泊した翌日にはまた軽井沢の別宅に逃げてくる始末であった。
 
 私の別荘は軽井沢の西の端、信濃追分にある。これを建てたのは1974年のことである。もう42年も前のこと、私が45歳のときだった。施工は、追分の西隣の町、御代田の大工に頼んだ。とにかく、このあたりに住む人と同じような民家を建ててくださいと言った。別荘を建てて夏場だけ滞在するというのを私は嫌った。東京生まれの男は森の四季を知らない。夏だけでなく、一年中通って来ようと考えていた。冬に滞在するためには暖房と不凍栓が必須であった。

 以来、42年、私はこの追分の森に数え切れぬ年月を過ごした。その時間の厚みを樹木が示している。実生(みしょう)でこの世に現れたコブシ、妻が大喜びで堆肥をめぐんで育てていたのが、今では見上げる樹木に育っている。その樹は私の書斎からよく見え、追分に来るたびに、おい元気かい、と森の代表として挨拶することにしている。8年前に妻が急逝してからは、妻に話しかけるような気持もある。
 妻だけではない。父も母も亡くなった。そして大勢の友達が追分から、この世から去っていった。

 いけません。まちがいました。私は過去の時間について話すつもりはなかったのに、老人の常としてつい後ろを向いてしまう。今年の夏について書くつもりでした。
 今年、2016年の夏は、酷暑、猛暑の予想だと言うので、覚悟を決めて、7月中旬には軽井沢に避暑した。まったくの独り暮らしで、自炊生活である。本さえ読んでいれば退屈もしないし、気持ち良く消光できるのだった。今読んでいるのは松尾芭蕉論で、古本屋で買い集めたものを、順不同で読んでいる。夕方になると散歩に出かける。約1時間、気乗りがすれば1時間半ほど歩く。追分というのは、近くに「追分原」という国有林があり、空気は抜群にいい。暗くなると自宅に帰る。
  
 この夏、私は朗読の会の出演と講演会の出演とで、けっこう忙しかった。

  まず7月24日、私が館長をつとめている軽井沢高原文庫の主催した朗読会に顔をだした。山本芳樹、坂本岳大、矢代朝子の俳優とともに、自作の『雲の都』の朗読会に加わった。
軽井沢演劇部  軽井沢演劇部

7月24日 睡鳩荘にて 軽井沢高原文庫 軽井沢演劇部 朗読会:『雲の都』他 (坂本岳大、
山本芳樹、矢代朝子、加賀乙彦)

  これは軽井沢の冬がいかに美しい自然の姿を示すかを会話で示したものだった。会場は高原文庫前の湖畔にある睡鳩荘。俳優たちは現職のプロ、私はドシロウトで、どうなることかと心配だったが、まあなんとか演技ができた。拍手もかなりあったので、まあまあの出来だったのだと思う。

 翌週、7月29、30日は、軽井沢朗読館主催のシェイクスピアの『夏の夜の夢』で、私は妖精の王様になって出演した。王妃は中軽井沢図書館長で、軽井沢朗読館長の青木裕子である。前記俳優のほかに、岩崎大、土田卓というプロと音楽家町田育弥というプロとの共演だから、ドシロウトの私はいい面の皮の出演だが、私にむかっての拍手はかなりあったので自己満足している。こういう演劇的朗読会には、軽井沢の森の中にある朗読館は自然の舞台となって具合がいいのだ。

  そしてまた翌週、8月6日、高原文庫の会で私は『軽井沢と私』という題で矢代朝子と語り合った。まあ毎週、老いたる顔を人さまの前にさらして、友人たちは「元気がいい。若々しい」とほめてくれたが、当のご当人は、完全に疲れ果てていた。ボロボロであった。

  8月になって、やっと暇になった。読書と執筆の生活にもどろうと思っていると、リオのオリンピックが始まった。私の孫かひ孫の年代の若者たちがハツラツとして登場するのだから、テレビを見ないわけにはいかない。こうして、わが職業は失われ、すべてを見終わったとき、私を包んだのは「この若者たちがいるかぎり、日本は大丈夫だ。私は幸福だ」という安堵の心であった。そしてパラリンピックもちゃんと見たいと心に決めた。
 
  今日、8月29日。台風10号という怪物が日本の南の海をうろうろしている。ドデカイ図体なのに意志薄弱な怪物である。私は昨日、神田教会に行って、この怪物さんが悪さをしないように神に祈ってきた。
 
  そうそう報告いたします。私の近著『殉教者』は、本日8月29日、四刷になった。したがって奇跡の人、私の祈りは効能があるんだぞ、怪物さん!